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沖ゼミブログ

2017.5.9

おはつです

沖縄校本校・沖縄校初等部中等部・沖進中部で国語を担当している森です

「森さん」と気軽に声をかけてくださいな

 

連休も終わりそろそろ休みボケを何とかしないと…

と思っている生徒も多いのではないでしょうか

(連休こそ復習のチャンスなんですけどね)

 

さて、本題。

何を書こうか迷いました。

 

勉強法についてはほかの先生方が書かれてらっしゃるし…

イベントやスケジュールについても言わずもがな…

 

というわけで日々思っていることを国語担当っぽく徒然とそこはかとなく書いていきます

日々…どうして腐った豆が「納豆」で納まった豆が「豆腐」なんだ 逆じゃね?

とか

日々…どうして「嘘をつくな」と言わずに「嘘をつけ!」と言うのだ 変じゃね?

とか

 

そんなことを考えている森さんです

 

今日の徒然は…

 

勉強に疲れた時のリフレッシュ法!

 

「好きなものを五分眺める」

 

好きなものを見ると癒されますよね

ポイントは時間決めることです

なんでもだらだらけじめがないのがよろしくない

 

ちなみに森さんの本日の癒され画像はヤドクカエルです

カラフルで大変かわいらしい(でも有毒)

ペンにも友人お手製のカエルがついてますよ

質問ついでに見に来てくださいね

 

blogのネタは授業中の出席カードでも募集してますよ~

 

 

blog かえる

マスキングテープ

2017.3.30

絵本週間

中等部那覇から前里です。

先週は、読書のすすめということで本屋大賞について紹介しましたが、今回はそれに関連した内容でいきたいと思います。

 

毎年3/27~4/9までの二週間は「絵本週間」であることはご存知でしょうか?

世界的に有名な童話作家の誕生日が4/2であることから、日本ではその前後二週間を「絵本週間」と制定しています。

その世界的に有名な童話作家とは・・・アンデルセンです!!

 

アンデルセン(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)は、1805年4月2日にデンマークで生まれ、1875年に亡くなるまで数々の創作童話を発表しました「裸の王様」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「人魚姫」「親指姫」「雪の女王」などが日本では有名です。このあたりの作品は読んだことのある人も多いと思います。

 

アンデルセンといえば「外出する時には非常時に建物の窓からすぐに逃げ出せるように必ずロープを持ち歩いた」「眠っている間に死んだと勘違いされて埋葬されてしまった男の噂話を聞いて以来、眠るときは枕元に『死んでません』という書置きを残していた」というエピソードが有名です。極度の心配性だったようですね。

 

1956年にはアンデルセンの功績をたたえ、国際児童図書評議会(IBBY)が「児童文学のノーベル賞」とも呼ばれる「国際アンデルセン賞」を創設しました。日本人の作家としては、童謡としても有名な「やぎさんゆうびん」「ぞうさん」の著者であるまど・みちおさん、「精霊の守人」「獣の奏者」「鹿の王」などで有名な上橋菜穂子さんが受賞しています。

 

小さい頃に読んだ絵本も、大きくなって読み返してみるとまた少し違って見えてくるかもしれません。この機会にぜひ絵本もよんでみてください。

 

マスキングテープ

2017.3.2

芥川龍之介について

こんにちは、中等部那覇から前里です。

前回更新分で予告したとおり、今回は芥川龍之介の作品について書きたいと思います。

 

芥川龍之介は大正時代に活躍した作家で、主に短編小説で有名です。特に初期の作品である『羅生門』は高校の教科書の定番教材になっています。この『羅生門』をはじめ、古典や説話文学をモチーフにした作品が多いのも特徴です。その一部をあらすじとともに紹介します。

 

「羅生門」

『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語」に、「太刀帯陣売魚姫語」の一部を付け加える形で書かれている。

時は平安時代、勤め先を解雇されたある下人が羅生門の下で雨宿りをしていたところ、2階の方から何やら人の気配がする。興味を持った下人が登っていくと、そこには身寄りの無い遺体がいくつも捨てられており、松明を持った老婆がいて・・・

 

「鼻」

『今昔物語集』の「池尾禅珍内供鼻語」と『宇治拾遺物語集』の「鼻長き僧の事」がモチーフ。

池の尾の僧である禅智内供(ぜんちないぐ)は長い鼻を持っていたために人々にからかわれ、陰口をたたかれていた。内供は表面上は気にしない風を装っていたが、内心ではプライドを傷つけられていた。ある日、鼻を短くする方法を知った内供はさっそくその方法を試し、鼻を短くすることに成功するが・・・

 

「芋粥」

『今昔物語集』の「利仁の将軍若き時京より敦賀に五位を将て行きたる語」がモチーフ。

平安時代、摂政の藤原基経に仕えていた主人公・五位は、40歳を過ぎたさえない下級役人であった。日頃周りからバカにされても笑ってごまかすような情けない人物だが、そんな彼には「いつか芋粥を飽きるほど食べたい」というひそかな夢があった・・・

 

この他にも『宇治拾遺物語集』の「絵仏師良秀」をもとにした作品「地獄変」や、中国の古典「杜子春伝」を童話化した「杜子春」などがあります。ぜひ、芥川版と古典版の両方を読み比べてみてください!!

 

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2017.2.17

『今昔物語集』

こんにちは。中等部那覇教室から前里です。

今回は前回の『竹取物語』からの関連で、『今昔物語集』について書きたいと思います。

 

『今昔物語集』は、平安時代末期に成立したとみられる説話集です。作者は不明で、『今昔物語集』という名前自体も、収録されている説話が全て「今は昔・・・」からはじまることによって付けられた便宜上の呼び名でしかありません。全31巻(8・18・21は欠巻)で、天竺(インド)・晨旦(中国)・本朝(日本)の3部構成となっています。

 

『今昔物語集』と『竹取物語』がどう関連しているかというと・・・実は『今昔物語集』に『竹取物語』の話によく似た話が収録されているのです!!

巻31本朝付雑事第33話に「竹取翁見付女児養語」という話があります。ざっくり説明すると、以下の通りです。

 

ある天皇が国を治めていた時代に、竹を取って籠をつくることを生業とするおじいさんがいました。ある日、おじいさんは光る竹の中から三寸くらいの女の子を見つけます。おじいさんが女の子を家に連れ帰ると、おばあさんはとても喜び、子供を籠に入れて養い始めますが、女の子は三日ほどで普通の人と同じくらいにまで成長します。その美しさは世に並ぶものがないほどで、しだいに貴族の男たちからの求婚されるようになりました。そして、求婚された女は男たちに難題を持ちかけます。

最初は、「空に鳴る雷」を、続いて「優曇華という花」を、最後に「打たぬのに鳴る鼓」を取ってきたものと結婚すると言い出したので、男たちはある者は海へ、またある者は山へ行き、途中で亡くなってしまったり、また帰ってこなかった者もいました。

あるとき、女の評判を聞きつけた天皇が自分の后にするために女のもとを訪れますが、「自分は人ではないので」と断られてしまいます。「それでは鬼か神なのか」と天皇が尋ねると「鬼でも神でもないが、空から自分を迎えに来るものがいる」と女は答えます。「自分の求婚を断るためにそんな嘘をいっているのだ」と天皇が考えていると、空からこの世の人とは似ても似つかない人々が来て、姫を輿に乗せて空へと昇っていきました。結局女は何者だったのか、なぜおじいさんのもとにあらわれたのか、分からないことだらけだと世の中の人は不思議がり、稀有な話として語り継がれましたとさ。

 

女が求婚者に持ちかける難題の内容や女の正体などの違いはありますが、とっても似た話だと思いませんか?

 

この『今昔物語集』は、後の説話文学の代表作『宇治拾遺物語』にも影響を与えたとされており、また、近大作家の中には『今昔物語集』の話をモチーフにした作家もいます。

次回は、その中でも有名な芥川龍之介について書きたいと思います。

 

 

 

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2017.2.9

「竹取物語」について

こんにちは、中等部那覇教室から前里です。

今回は「竹取物語」について書きます。現代でも絵本等で親しまれているうえ、中学1年生の古文学習の定番教材になっているので、読んだ覚えのある人は多いはずです。

 

「竹取物語」は、平安時代初期に成立したとされ、「源氏物語」では《物語の出で来はじめの祖》と紹介されるように、日本最古の物語とされています。作者は不詳ですが、当時の識字率や物語の内容、貴重だった紙を手に入れることができたなどの要因から、上流階級に属する男性だったのではないか、と推定されています。

 

竹取の翁によって竹の中から見つけ出された少女・かぐや姫が美しく成長し、貴公子たちや帝からの求婚を断って最終的には月へと帰っていく・・・というストーリーの中でも、五人の求婚者がかぐや姫から言い渡された難題に挑む話は有名です。

 

石作皇子は「仏の御石の鉢」(釈迦が使っていたとされる石の鉢)を持ってくるよう言われ、大和の古寺にある鉢を持っていきますが、偽物だと見抜かれてしまいます。

くらもちの皇子は「蓬莱の玉の枝」(蓬莱山にあるという根が銀・茎が金・実が真珠の木の枝)を持ってくるよう言われ、大金をかけてひそかに製作し、蓬莱山から持ち帰ったかのように見せかけて持っていきますが、玉の枝を造った職人たちが賃金を払うよう屋敷におしかけてきたため嘘がばれてしまいます。

右大臣阿倍御主人は「火鼠の皮衣」(焼いても燃えない布)を持ってくるよう言われ、大金をはたいて中国の貿易商から買い取った皮衣を持ってきますが、実際に火にくべてみると燃えてしまい、偽物だったことが判明します。

大納言大伴御行は「龍の首の珠」(龍の首にあるという五色の玉)を持ってくるよう言われ、龍を探しに船で出発しますが、龍の怒りにあい船が難破。何とか命は助かったものの重病を患って目が李のようにはれてしまいます。

中納言石上麻呂は「燕の子安貝」(つばめが持っている子安貝)を持ってくるよう言われ、燕の巣から貝をとろうとして屋根に登ったところ転落して腰をうち、最終的には亡くなってしまいます。

 

今挙げた五人の貴公子のエピソードには、話のオチとしていろいろな言葉の由来がそれぞれに書かれているのはご存知でしょうか。

 

石作皇子の話

鉢が偽物であることがわかってからも、かぐや姫に言い寄ったため、ずうずうしいことを「はぢをすつ」《恥(鉢)を捨つ》と言うようになった。

くらもちの皇子の話

自分の嘘がばれてしまったことを「一生の恥」として深い山に入ってしまい、役人や仕えていた人々がいくら探しても見つからなかったため、「たまさかる」《魂離る・魂がぬけたようにぼんやりする》と言うようになった。

右大臣阿倍御主人の話

世間の人々が、「皮は燃えてしまったのでかぐや姫は結婚しない(逢ひ給はず)」とうわさしたことから、張り合いのないこと「あへなし」《敢へ無し》と言うようになった。

大納言大伴御行の話

世間の人々が、目が李のようになってしまった様子を「ああ、食えたものではない(あな、たべがた)」とうわさしたことから、割に合わないこと「あなたへがた」《ああ、たえがたい》と言うようになった。

中納言石上麻呂の話

子安貝ではなく燕の糞をつかんで転落したため、人々が笑うだろうと外聞を気にするあまりどんどん衰弱する石上麻呂のもとに、かぐや姫から「まつかひなしときくはまことか」《子安貝を待つ甲斐がないといううわさは本当ですか》という和歌が届く。その返歌として「かひはかくありけるものを」《このように(あなたの歌を)いただけましたが》と書き終えて亡くなってしまい、かぐや姫は少し気の毒に思ってしまう。このことから、少し嬉しいこと「かひあり」《甲斐あり》と言うようになった。

 

また、物語のラストで、月に帰るかぐや姫から不死の薬をもらった帝が、駿河にある天に一番近い山の山頂で薬を燃やすよう命じ、使者がたくさんの兵士を引き連れて山に登ったことからその山のことを「富士山(士に富む山)」と言うようになった、という話もあります。

 

このように、竹取物語には言葉の意味や由来を説明する場面が出てきます。ストーリーとセットで覚えると、古文の言い回しも多少覚えやすくなるかと思うので、ぜひ読んで探してみてください。

マスキングテープ

2017.1.27

命懸けの試験

こんにちは。中等部那覇教室から前里です。

高校入試まであと1ヶ月弱となり、大学入試も続々と二次試験が始まる中、今回は中国で行われていたある試験について書きます。その試験とは、中国の官僚登用試験・科挙です。漢文を学習していれば、一度は耳にしたことがあるかと思います。

 

科挙は、中国で598年~1905年(隋~清の時代)まで行われていた官僚登用試験です。科挙がはじまる以前は貴族たちが政府の役職を独占する時代が続いていましたが、隋の時代に賢帝として知られる文帝が家柄や身分に関係なく誰でも公平に受験できる試験として導入しました。

 

時代によって試験項目や試験回数などは異なりますが、大きく分けて3つの試験が行われていました。

 

第一の試験「郷試」

3年に一度8月頃に実施され、全部で3回の試験を受ける。1回の試験は試験は三日がかりで行われ、三日以内に全科目の答案を作成する。答案作成の合間に食事や睡眠をとることは自由だっため食料や寝具は持参して試験を受けた。

 

第二の試験「会試」

郷試の合格者が受験できる試験。郷試の翌年3月に実施され、こちらも2泊3日の試験を3回の試験を受ける。

 

最終試験「殿試」

会試の合格者が受ける試験。皇帝が臨席する下で試験を受ける。この試験の順位によって後の対応が決まってくる。上位3人はそれぞれ状元・榜眼・探花と呼ばれ、官僚としての将来の地位を約束される。

 

また、科挙の競争率は非常に高く、最盛期には約3000倍に達することもあったといわれています。合格者の平均年齢は三十代後半で、中には70歳でやっと合格したという人物もいますが、やはりほとんどの人物は一生かかっても合格できなかったそうです。これだけ難しい試験ではありますが、合格さえすれば官僚としての将来は約束されたも同然なので、賄賂で試験官を買収したり、カンニングをしたりする人も大勢いました。科挙は皇帝が直々に行う国事であったため、不正に関しては非常に厳しい罰則が設けられていて、場合によっては死刑になることもあったそうです。

 

不正は許されないことですが、自分の一生を左右する試験を命懸けで受けるという姿勢は見習いたいものです。

 

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2017.1.19

詩聖・杜甫

こんにちは。中等部那覇教室の前里です。

今回は先週に引き続き、漢詩の話題で投稿します。漢詩がテスト範囲になるであろう中学二年生はもちろん、受験前の中学三年生も要チェックな内容です。

 

前回紹介した李白と並んで有名なのが、同じく唐代の詩の名手である杜甫です。李白の「詩仙」に対し、杜甫は「詩聖」と称されています。

祖父は宮廷詩人だったこともあってか、10歳にも満たないうちから詩を詠じていたとされており、幼い頃から聡明だったそうです。24歳で科挙(官僚になるための試験)を受けますが合格できず、その後斉や趙といった国を漫遊します。その頃に李白と出会い交友を深めます。その後玄宗皇帝に仕えるチャンスを得ますが、その時の宰相に阻まれ、仕えることはかないませんでした。

別の役職で仕官することになった矢先に安禄山の反乱がおき、都(長安)が陥落。次の皇帝が即位したことを聞くと、皇帝のもとにはせ参じるため長安脱出を試みますが、その途中に反乱軍につかまり、長安に幽閉されてしまいます。なお、このときに作られたとされるのが、教科書に取り上げられている「春望」です。

1年ほど幽閉された後に脱出を果たして新皇帝のもとにたどりつき、仕官することになりますが、友人が免職されたことを弁護したために皇帝の怒りを買い、左遷されてしまいます。その後は各地を転々とし、59歳で病死してしまいます。杜甫のエピソードとしては、頂き物の牛肉を食べ過ぎて亡くなった、という話が有名ですが、これは晩年に困窮を極めていたことから後世の人が創作した話だろうとされています。

 

李白は絶句(四行詩)を得意とし、ある時はダイナミックに、またある時は繊細に詠むというように変幻自在に鮮烈な印象を与えるような詩を詠んだのに対し、杜甫は律詩(八行詩)を得意とし、社会や政治を題材とした詩を多く読んでいます。杜甫の詩は「詩史(詩による歴史)」とよばれ、当時の社会情勢をリアルに表現しているのが特徴です。同時代の詩の名手二人の作品を読み比べてみると、その作風の違いがよりよくわかるかと思います。

 

また、杜甫は「破竹の勢い」という慣用句の元になったエピソードをもつ人物の子孫でもあります。言葉の意味とエピソードの内容はぜひ調べてみてくださいね。

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2017.1.13

詩仙・李白

こんにちは、中等部那覇教室の前里です。

今日は現在中学2年生のクラスで学習中の漢詩の作者である、李白について書きたいと思います。

 

李白は、中国・唐の時代を代表する詩人で、「詩仙」とも呼ばれています。若い頃から山奥に住み、道士の修行を行っていましたが、25歳から約10年間中国各地を放浪します。この時期に孟浩然と出会い、交友を深めて行きます。その孟浩然との別れの寂しさを詠んだ作品が、多くの教科書に掲載されている「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」です。その後、玄宗皇帝の妹で女道士となっていた人物の推薦を受けて、少しの間玄宗皇帝に仕えることになります。玄宗皇帝といえば、あの傾国の美女・楊貴妃を寵愛した人物としても有名ですよね。実際に李白が宮仕えの間に楊貴妃の魅力について詠んだ詩が残されています。

しかし、本来の奔放な性格もあって宮仕えは長く続かず、都を離れることとなります。安史の乱で玄宗皇帝が倒れた後は、その息子に幕僚として招かれましたが、反乱軍と見なされ捕まり、最終的には流罪にされてしまいます。中国国内を放浪した後、62歳で病死します。有名な伝説としては、舟に乗っているときに、酒に酔って水面に映った月を捕まえようとして舟から落ち、そのまま溺死した、という話もあります。

 

他にも後世には、李白の伝説やそれに脚色を加えた小説等もいろいろあるようなので、作品と一緒にチェックしてみてください!!

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2016.12.29

鳴かぬなら・・・

こんにちは、中等部那覇から前里です。

今年も残すところあと3日となりました!! 皆さんは新年を迎える準備はできていますでしょうか?

私も何かやり残したことはないかな・・・と考えてみると、前回アップした正岡子規の記事で話題にしたホトトギスの説明が足りなかったのではないか、という考えが頭に浮かんだので、今回はホトトギスについて書きたいと思います。

 

ホトトギスは、カッコウの仲間で、日本には夏に飛来する渡り鳥です。九州以北に飛来するため、沖縄ではあまりなじみ深い鳥ではないかもしれませんが、文学作品の中には(特に詩歌に)登場することが多いので、名前を聞く機会は多いはずです。夏に飛来するため夏を知らせる鳥として「卯月鳥」や「早苗鳥」という異称で親しまれた他、死後の世界である冥土から来る鳥ともされ「死出の田長(しでのたをさ)」「魂迎鳥」という異称でも呼ばれています。

 

その年に初めてきくホトトギスの鳴き声は「忍音(しのびね)」と呼ばれ、『枕草子』にはこの忍音を人よりも早く聞こうとして徹夜で待ち続ける様子も描かれています。

 

さて、ここからは私の心残りだった内容に入ります。前回、正岡子規の「子規」はホトトギスのことであり、ホトトギスは血を吐くまで鳴くことから病気で喀血した自分の様子になぞらえてこの雅号を用いたと紹介しましたが、その「血を吐くまで鳴く」というのも、中国の故事(杜鵑の吐血)に由来しているので、その故事を紹介しておきたいと思います。

 

長江の流域に蜀という傾きかけた国がありました。そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導することで傾きかけた蜀を再興し、「望帝」と呼ばれるようになりました。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝は山中で隠居生活を送ります。望帝が死ぬと、その魂がホトトギスに化身し、農耕を始める季節になるとそれを人々に知らせるために、杜宇の化身であるホトトギスは鋭い声で鳴くようになったと言われています。また、蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰ることができない)と鳴きながら血を吐いたので、ホトトギスのくちばしは赤いのだ、と言われるようになりました。

 

この故事からホトトギスを「杜宇」「蜀魂」「不如帰」と表記するようになったそうです。、

 

また、余談ではありますが、ホトトギスといえば天下人の性格を後世の人があらわすために用いた「鳴かぬなら ○○ ホトトギス」という川柳も有名です。

 

織田信長なら「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」、

豊臣秀吉なら「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」、

徳川家康なら「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」 といった具合です。

 

みなさんなら、どんな言葉をあてはめるでしょうか。

 

 

 

マスキングテープ

2016.12.23

まっさおかしきはーよこむいてる♪

こんにちは。中等部那覇教室から前里です。

今回は、前回夏目漱石の話をアップした時にちょろっと名前の出ていた正岡子規について書きます。

 

正岡子規といえば、俳句(「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」など)や、短歌(「くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」など)で有名ですが、小説・随筆・評論など実は多方面にわたって活躍している明治時代を代表する作家の一人です。作品はあまり知らなくても、真横を向いた肖像を見たことがある人は多いかと思います。

 

この子規というのも実は雅号(ペンネーム)であることをご存知でしょうか。子規とはホトトギスという鳥の漢字表記です。ホトトギスは「鳴いて血を吐く」と言われており、当時不治の病である結核を患い喀血(血を吐く)していた自身と重ね合わせて、この名を使うようになったといわれています。

 

また、子規は大の野球好きだったことでも有名です。自身の幼名の升(のぼる)にちなんで「野球(の・ぼーる)」という雅号を一時期使っていたり、外来語である野球用語「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」などに「打者」「走者」「四球」「直球」などの翻訳案を提示したりしています。野球に関する句や歌も詠んでおり、文学を通じて野球の普及に貢献したことが評価され、2002年には野球殿堂入りも果たしています

 

現代でもよく使われる「月並み」という言葉に「陳腐・平凡」といった意味を定着させたのも子規だと言われています。この他にもいろいろな逸話のある人物ですので、興味のある人はぜひ調べてみましょう!!

 

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