Home > 沖ゼミブログ

沖ゼミブログ

2019.3.7

北大医学科 現役合格!

沖ゼミ那覇本校に通う高3生が、難関の北海道大学・医学部・医学科に現役合格しました。

高2から選抜Sクラスで厳しい指導を受け、よく頑張ってきました。

本当におめでとうございます!

 

マスキングテープ

2019.2.28

琉大前期試験に的中!

琉球大学の入試問題に沖ゼミのテキストから毎年のように的中を出していますが、今年はまず数学。2月25日に行われた琉大前期試験の数学(乙)、数学(甲)に的中が出ました!

琉大前期数学(乙)(甲)& 的中問題

マスキングテープ

2019.2.27

医学科合格速報

沖ゼミ那覇本校の過卒生が、東京慈恵医科大学医学部医学科に合格しました!

国際医療福祉大学医学部医学科も合格したそうです。

おめでとうございます!

本命の国公立大も合格を願っています。

マスキングテープ

2019.2.26

残りの54mℓは?

こんばんは。那覇本校中等部アドバイザーの高江洲です。

 

最近、天候が不安定な日が続いて過ごしづらいせいか、中等部では体調不良で休む生徒が増えてきています。

あと1週間後に受験を控えている生徒もいるのでこの時期はより体調に気をつけて欲しいです。

 

体調面に関しては、生徒のジュースの摂取量が多すぎることも心配です。私自身、味の無い物が苦手なのであまり人のことは言えませんが、塾にいるたった数時間で紙パック1つ分を飲み切っていることには驚きます。

 

普段何気なく飲んでいる紙パックジュースですが、沖縄で販売されている紙パックには内容量が1ℓではなく、946mℓと記載されている物がほとんどです。

何故、そんな中途半端な数字を用いているのか不思議に思いますよね。それは、車の右側通行やドル通貨の使用など、沖縄でもアメリカのルールが使用されていた1945年から1972年まで続いた米国統治時代が背景となっているそうです。

この時代では日本であまり馴染みのない『1gallon(ガロン)=3.785ℓ』という単位を沖縄でも使用していました。しかし本土復帰に伴い、表示単位だけを統一し、1ℓに最も近い4分の1gallonである946mℓで販売するようになったそうです。

大手メーカーの物にも946mℓで記載されていることもありますが、離島にかかる輸送費を少しでも削減できるようにする為だそうです。

 

このように食文化を始め、先日、辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票が行われた米軍基地など、沖縄では至る所で米軍統治時代の名残が感じられます。

探してみると、他にも発見できることは沢山ありそうですね!

 

 

そして中等部から、沖縄尚学高校と沖縄工業高等専門学校にそれぞれ合格者が出ました。毎日塾に来て勉強していた成果が出ましたね。

おめでとうございます!これからも頑張ってください!

 

沖ゼミ那覇本校では、新中1準備講座を行っています。3月後半には春期講習も始まります。

無料体験もございますので、ぜひお気軽にお問い合わせください。

 

 

マスキングテープ

2019.2.25

現在、琉大二次試験解答・講評を作成中です!   【明日の沖縄タイムス・琉球新報にてご確認下さい】

本日、2019年2月25日(月)

いよいよ国公立2次試験の前期の日になりました!

受験生の皆さんは、全力を出し切れたでしょうか?

明日も試験がある生徒は、ゆっくり体を休めながら、明日に向けての準備をしましょう。

 

さて、沖ゼミでは現在、新聞社から依頼を受け、琉球大学の2次試験の解答と講評作成を行っています。

本日作成した解答・講評は、

明日の「沖縄タイムス」「琉球新報」に掲載されますので、ぜひご覧ください。

 

 

 

IMG_1827IMG_1829IMG_1835IMG_1834IMG_1831

 

16:45 | 未分類
マスキングテープ

2019.2.14

防衛医科大 現役合格!

沖ゼミ那覇本校に通っている高3生が、難関の防衛医科大学校医学科現役合格しました!

この生徒は杏林大学医学部医学科にも合格したそうです。凄いですね~。

本命の国立大学も頑張りましょう!

 

マスキングテープ

2019.2.12

北里柴三郎

泉崎校・受験アドバイザーの和瀬です。

先日受験生の面接練習中に北里柴三郎の話が出てきたので、北里について私が好きな話を一つ。
北里柴三郎と言えば中学の歴史教科書に写真付きでちょこっと載っていたりしますねぇ。

 

さくっとまとめ
熊本出身。東大医学部卒。ドイツに留学し細菌学者コッホに師事。破傷風の血清療法を確立。この血清療法をジフテリアに応用する研究を同僚のベーリングと行う。業績が認められ欧米各国の研究所、大学から招へいされるも日本の医療体制の改善が自分の使命とこれを固辞。帰国後福沢諭吉の援助で設立された私立伝染病研究所(現東大医科学研究所)の所長となる。1894年にペストが蔓延していた香港に派遣され、到着後3日目にペスト菌を発見、4日目には病原菌の伝染媒体がネズミの可能性が高いことを突き止める。感染経路を香港政府に進言し、家屋の消毒とネズミの駆除を徹底させる。こうして香港のペストは沈静化。日本にもいずれペストが入ってくると考えた北里は、政府を動かし「伝染病予防法」を成立させ、大規模感染を予防した。北里研究所(北里大学の母体)を設立。福沢諭吉の死後、諭吉の恩義に報いる為、慶應大学に医学部を創設する。

 

さて、北里。ノーベル賞を逃しているのである。同僚のベーリングと行ったジフテリアの研究で、ベーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞したのだ。人種差別が原因ではなどと言われていたが、その報を聞いたとき北里は新橋の料亭にいた。そして「(そんな賞をもらうよりも)わしはこっちの方がいい」とニコニコしながら友人と酒を飲んでいたという。

 

粋ですねぇ。

18:47 | 未分類
マスキングテープ

2019.2.12

琉大医学部医学科 合格速報!

2月8日発表の琉球大学医学部医学科地域枠推薦入試にて、沖ゼミから3名の合格者が出ました!

那覇本校から過卒生1名、沖縄本校からは現役生が2名です。

難関の医学科入試、突破おめでとうございます!

マスキングテープ

2019.2.4

恵方巻き食べましたか?

年が明けて、早一か月。

受験生の皆さんは、怒涛の毎日を過ごしているかと思います。

国公立の2次出願が、2月6日(水)までと差し迫っています。

期限切れにならないように注意してください!

 

残された時間で、自分にできる最大限のことをやっていきましょう!

勝負の世界では、千載一遇のチャンスを小さな油断で失うこともあれば、絶体絶命のピンチを執念で切り抜けることもあります。

安心するのも、落ち込むのも全てが終わってからですよ!

先生・アドバイザーと一緒に最後まで走りぬきましょう!

 

2年生は、いよいよ『センター試験早期対策模試』の時期になってきましたね!沖ゼミでも、早い人では、11月頃から、模試に向けての目標設定や計画立案、勉強のやり方の試行錯誤、過去問演習、得点の分析、今後の勉強量・方法の設定など、この4か月間模試対策に力を注いできたと思います。その積み重ねてきた学習を活かしてください。また、目的は今回の模試で結果をだすことだけではなく、自分の得意・不得意を正確に分析し、センター試験までの10か月間をどう過ごしていくかを、アドバイザーや先生と一緒に決めていきましょう!

 

那覇本校 受験アドバイザー 小湾

 

 

14:49 | 未分類
マスキングテープ

2019.1.31

世界史にも目を向けて

英語と社会を担当している小田島です。センター試験が終わり、現時点で、悲喜こもごもの状態が受験生たちみられるこの頃です。今年は、英国社の文系科目が簡単になったようで、合格ラインのボーダーが上がる傾向になっているようです。英語の問題を解いたり、地理や政治経済、現代社会の問題に目を通してみると、なんと世界史の知識の多いことか、と驚きます。そこで、今回は、身近なことに関連した世界史上の有名人を何人か紹介しましょう。

今から100年前に突如現れ、女性たちをファッションの観点から解放し、社会進出の先駆けを創造した、ココシャネルという人物がいます。勿論、本名ではありませんが、皆さんもシャネルというブランドで知っているでしょう。彼女は、1883年に生まれ、早くに両親をなくし、孤児院で育ちました。お針子の修行をしながらも、人一倍独立心が強かったようです。しかし、スポンサーがいなければ世の中には認めてはもらえません。そこで、彼女は生来の美貌と性格を活かして、フランス人男性の庇護をうけながら新たなファッションを発表し、西欧諸国にセンセイションを巻き起こしました。当時、女性たちが身につけていたコルセットとロングスカートのドレスを駆逐して、上流階級の男性たちが身につけていた、ゆったりとしたホワイトシャツ(後のYシャツ)をアレンジし、スカートの丈も膝下ぐらいにまで短くしたのでした。第一次世界大戦だけで、八百万人以上の男性たちが亡くなっていたので女性たちの労働や社会進出は必要不可欠になっていたので、1920年代にシャネルのファッションは社会に受け入れられ2000年代の現代にも繋がっているのです。第二次世界大戦の最中には、敵国ドイツ人将校の愛人になってしたたかに生き延びました。しかし、戦後、そのことで一時社会から批判を受け消えることになるのですが、1960年代ごろから颯爽と脚光を浴び、その地位を不動のものにしながら1971年に波乱の生涯をおえました。

もう一人紹介しましょう。同じく第一次世界大戦の最中に日本の捕虜となって日本の広島に連れてこられたドイツ菓子を広めた人物です。日本初のバウムクーヘンを作ったカールユーハイムはもともと、当時の中華民国の山東半島青島(チンタオ)で菓子店を経営していたですが、ドイツの植民地になっていたのを日本軍が占領し、ユーハイムは広島の収容所に連行されました。戦後の1919年にドイツ作品展示会にバウムクーヘンを出品し好評を得て、1921年に横浜にドイツ菓子店、1923年の関東大震災後に神戸に移転してから本格的に洋菓子を普及したのでした。その頃にドイツの文化、例えば、サッカーやブラスバンドなども伝わったといわれています。

 

14:24 | 那覇本校
マスキングテープ
1 2 3 4 5 6 7 8 69
資料請求はこちら体験指導のお申込みはこちら